自己流『宗教論』 〜如何なる理由があろうと思想の押し付けは悪である〜
(´・ω・`)ども、タブーなんて気にしない変人 おおかみさんです
実はおおかみさん、創価学会の家庭に生まれて、色々とアレな経験を多々してきてるんだけど。
似たような境遇の人たちの多くはやっぱり、その境遇をなるべく隠そうとして生きてるのよね。
その気持ちは痛い程よくわかる。
だからこそ、俺みたいなタブーとか開き直った変人が、その境遇の実態を世に曝け出すべきだ、という変な使命感みたいなのを密かに持ってたりするのよ。
というわけで、まずは手始めに軽〜く、
おおかみさんの宗教というものに対する見解を書いてみる。
1. 宗教とは?
学術的な定義はWikipediaに超詳しく書いてあるからそっち見てもらうとして。
おおかみさんの考える宗教とは、一言で言うと
大衆向け哲学である。
人間って何のために生きてるんだろう?
どうすれば幸せになれるんだろう?
とかいう疑問に対する答えのうちのひとつを提示する役割。
これをごちゃごちゃと突き詰めていって学問という形になったのが哲学だけど、
哲学のままだと一般庶民には難しすぎて何が何だかよくわかんない。
それを一般人にもわかりやすいように、言葉を変え、ニュアンスを変え、時にはストーリー(例え話)を作り上げ、体系付けたのが宗教。
2. 『布教』というものの在り方
多くの宗教には、
「この教えは正しいですよー、幸せになれますよー、だから他のみんなにも教えて広めていきましょうねー」
ってのがある。
いわゆる『布教』ってやつ。
“教え” を “流布” する。
読んで字の如し。
だがしかし、この布教ってのが意外と曲者だったりする。
まぁ、曲者って言ってる理由は後述するとして。
おおかみさんが思う本来の、宗教が広まっていく “理想的な形” ってのは、ゆる〜く表現すると。
「俺、A教ってのやってるねん」
「A教? それってどんなんだっけ?」
「(云々)こんな感じの教えやでー」
「へぇーなかなか良さそうじゃん。もうちょっと詳しく話聞かせてー」
「ええよー」
まぁ、これが本来の姿でしょ。
この宗教はこんな教えです!
って公言してるだけでいい。
本当に素晴らしい良い宗教なら、たったそれだけで人は自然に集まり、教えは広まっていく。
3. 布教活動の “実際”
では、実際の布教活動ってどんな風にやってるのか?
ぶっちゃけ、おおかみさんは創価学会のやり方以外は、エホバを少し見たことある程度だから、
ここでは、おおかみさんが今まで組織内部の人間として見てきた創価学会の布教活動 (創価学会では『折伏:しゃくぶく』と言う) の姿を紹介する。
- パターン1:悩み相談+脅迫
『不幸事や悩み事を聞き出す→それは創価学会やってないから。やれば全て解決する、やらなければもっと不幸になる。』
創価学会員の折伏現場で、最も多く見てきた常套手段。
はっきり言って、宗教者のやる手口ではない。
人間としても最低。
- パターン2:人格否定+強制
『人の悪い部分を指摘し人格否定→創価学会やれ。やらないとそんな悪いの治らないぞ。』
しばしばパターン1と混ぜられる手法。
創価学会員でありながら学会活動をしない人、に対しても非常によく用いられる。
言うまでもなく、人間として最低。
- パターン3:相手から寄ってくる
『すごく良い人で人間性素晴らしいと思うんだけど、何か宗教やってるんですか?→創価学会やってます→おお!私も創価学会やりたい!』
宗教とは本来こうあるべきなんだけど、今までこんなパターンは1回しか見たことがない、非常に稀なケース。
大まかにこんな感じ。
ほとんどがパターン1または2とか異常だよね。
4. 思想の押し付けは害悪でしかない
上で紹介したパターン1と2は、典型的な思想の押し付けだよね。
他の宗教のことはよく知らないけど、似たような押し付けやっちゃってる宗教、たぶん他にもあるんじゃないかな?
こういう押し付け云々を言うとね、創価学会員は、というかうちの母なんかは、
押し付けなんてそんな悪い言い方するな!
正しいことを言ってるんだから構わない!
とか言っちゃうんだよね。
賢明な皆様なら、そういう問題じゃない、ってわかるよね。
世界のどの宗教でも、どの争いでも、
自分たちだけは正しい
と思ってるんだよ。
そんな考えを正当だと思っちゃってるから無意味な争いを生むんだよ。
この考えこそが正しい!
お前らの考えは間違ってる!
だからこの考えに従え!
……だいたいの “争い” ってさ、両者がこれ思ってるよね。
だからダメなんだよ。
思想の押し付けは害悪でしかない。
こんな思想は争いしか生まない。
5. 結論
極論言っちゃうよ。
宗教ってのはね、
- 他人に不快感や不利益、迷惑をかけない
- 本人が満足、幸福を感じる
この2つさえ満たしてれば、細かいことは何だって良いんだよ。
逆に言うと、この2つすら満たせないものは宗教を名乗るな。
宗教って幸福になるためのものなんだろ?
他人に迷惑かけて、他人の幸福を侵害して、何が “幸福” だ。
ふざけんな。
これ言うと、お前だって思想押し付けてるだろ!とかいう的外れな反論を受けることあるけど、
そう言う人は例外なく “図星突かれて顔真っ赤” なのが面白い。
俺が言ってるのは、
この宗教こそ正しい!この思想こそ正しい!
だからこれに考えを改めろ!これを信じろ!
ってのをやめろ、
というこれだけ。
お前らその宗教間違ってるからそんな宗教やめろよ、
って言ったとしたら、それは押し付けになるけどね?
その宗教正しいと思ってやってる分にはどうぞご自由に。
だからって、こっちにまでやれよ!って強要してくるのだけはやめてね、
って言ってるだけだからね、俺は。
正しい、と思ったなら言われなくてもやるさ。
教えを聞いて、それでもやらないってのは、つまりそういうことだ。
まさかそんなことすらわからないの?(煽←
とにかく言いたいことは、タイトル通り、このひとつだけ。
如何なる理由があろうと思想の押し付けは悪だ
それでは。
(´・ω・`)ノあでゅー