おおかみさんのトラウマから学ぶ教育の在り方
(´・ω・`)ノやぁ、みんなのアイドルおおかみさんですよ
(´・ω・`)……
(´・ω・`)アイドル違うね、せやね
というわけで今回はタイトルにある通り、
おおかみさんのトラウマを晒してみる小話。
1. 水
おおかみさんは水が怖い。
厳密に言うと、底の見えない水が怖い。
川とか池とか湖とか海とか、場合によってはお風呂でも、とにかく底の見えない水は全てが物凄く怖い。
……話は小学校低学年頃まで遡る。
大阪の有名な水族館 『海遊館』 のすぐ横あたりから遊覧船が出てるんだけど、それに家族で乗ってたときのこと。
デッキの柵にもたれて海を覗き込んでたら、後ろから忍び寄った母に突き落とされかけた。
母はちょっと驚かせようとしただけらしい。
だが、子供にとっては本気で身の危険を感じる出来事だった。
ちょうどそのとき底が見えない海を覗き込んでたのもあって、それ以来、海はもちろん、底の見えない水全般が怖くて仕方なくなった。
そういうの見る度に、あの時感じた恐怖が蘇ってしまう。
親が子供を絶対に落ちようがないようガッチリ掴んで支えた上で、ならまだわからなくもない。
が、
張り手のような形で、しかも後ろから不意打ち、は絶対あかん。
子供とふざけたりスキンシップしたりは構わないが、
何よりも安全性だけは最優先で考えろ。
それが大人の責務だ。
さもないと、子供の心に強烈なトラウマを刻み込んで恨まれることになる。
2. 電気 ( 火花 )
おおかみさんは、電気バチバチ!ってなって火花散るのとか超怖い。
……これまた小学校まで遡るけど。
おおかみさんはピアノ習ってた。
最初の頃は楽しかったかもしれないけど、そのうち練習強制されるのが嫌になって、やめたかった。
それでもやめさせてくれないから、練習をサボるようになって。
それで母がキレて電子ピアノのコードを力任せに引っ張った結果、抜けたコードとコンセントの間でバチバチ!って火花が散った。
夕方の薄暗い部屋の中、鬼の形相の母、鮮烈に迸る火花。
今でもあの光景は鮮明に覚えてる。
怖かった。
そうやって怒られるときに毎回言われた言葉が、
あんたがやりたいと言ったから、やらせてやってるんだ。
だったら、ちゃんと練習しないといけないだろう。
なのに何でやらないんだ。やれ。
ちなみに、やりたくないと何度言ってもやめさせてくれない理屈は、
あんたがやりたいと言ったから、やらせてやってるんだろ。
(母)は一度も「やれ」なんて強制したことないぞ。
やりたいって言ってやってることなんだから、やれ。
あ、これ実際にはバリバリの大阪弁で言われたので、本当はもっと汚い表現でした。
さて、これ読んだら、賢明な皆様なら気付いてると思うけども、
母の理屈は激しく論理矛盾してるよね。
最初はやりたいって言ったのかもしれないけど、少なくとも今はもうやりたくないと言ってるのに、
“やりたいって言ってるんだからやれ” の一点張り。
そして、やれと言った側から「やれと強制したことは一度もない」と。
要するに母は、子供の意見なんて最初から聞いてないの。
自分の子供がピアノやってる、というのを自分のステータスとして維持したいだけ。
論点すり替え、屁理屈、論理矛盾、……
ダメ、ゼッタイ。
所詮子供だから、と甘く見てないかい?
そういうの、子供はしっかり見抜いてるからね。
大人相手でもそうだけども、
子供相手のときこそより誠実に接しないとね。
微塵も信頼されなくなるよ。
自分の子供からですら、全く信頼されない。
そんなの途方もなく哀しいことだと思うけどな。
3. 包丁
おおかみさんは包丁が怖い。
包丁そのものが怖いというより、
包丁を持つと自分が凶悪な災厄のようなものになってしまいそうで、それが途轍もなく怖い。
またまた小学校の頃に遡る。
このトラウマはあまりに衝撃的すぎて、前後の詳細は覚えてないんだけど。
何かしら母の言うことに従わなくて怒られたときのこと。
激昂して怒鳴り散らしてる真っ最中、母が台所へ飛んで行き、すぐに戻ってきて何をしたか。
包丁を突きつけ、
「言うことを聞かなかったら殺す」
信じられないだろうけど、これは事実。
俺は小学校のとき、実の母親に、包丁を突きつけられ、言うことを聞かなかったら殺すと言われた。
俺には母が、悪魔とか般若とかそんなものを凌駕する、どんな悪よりも恐ろしい災厄の化身に見えた。
言うまでもないけど、こんなこと、どんな理由があってもやっちゃダメ。
人間のやることじゃない。
実の母親から包丁突きつけられて、言うこと聞かなかったら殺すぞ、って言われた子供の気持ち。
わかる?
想像を絶する、とはまさにこのこと。
おかげで未だに、まともに包丁握れない。
包丁握ると、自分もあの時の母の状態になってしまうような気がして。
それくらい、包丁を突きつけてくる母の姿が、この世で何よりも恐ろしい悪、として記憶に刻み込まれた。
子供の教育考えたら、
というか大人が相手でも同じだけど、
人が言うこと聞いてくれないからといって
凶器を持ち出したり脅したりは絶対にしてはいけない。
聞いてくれないのは、あなたの態度に問題があるからだから。
そんなことやってしまった時点で、
信頼は地に落ち、二度と回復することはない。
現に自分は、今はもう母のことを “母親” だと思ってないから。
※番外編
トラウマ、とまではいかないけども、おおかみさんには褒められた記憶がない。
例えば、学校のテストで100点満点中98点を取ったら、
何で100点じゃないの!?
2点はどこ間違えたんだ!?
って言われる。
褒められない。
100点満点じゃないと許されない。
それでいて、100点満点取っても、
100点満点取れて当たり前、と
やっぱり褒められない。
物心つく前からずっと、そんな感じだった。
そうして育つとどうなるか。
何をするにも消極的になる。
だって、100点満点にできなかったら粗探しされるんだもん、否定されるんだもん。
そして、何をするにも、100点満点にできるかどうか、できそうならやる、できなさそうならそんなものに価値は微塵もないからやらない。
そんな極端な思想になる。
良いことは何もないよ。
子供の場合は特に、だけど、これは大人でもそう、
人に指導するとか教育するとかいうとき、
粗探しして悪いところを否定するだけ、というのは絶対ダメ。
多大なデメリットはあるけど、メリットは一つもない。
どんなことであれ、
人間が伸びるのは、
人に褒められたとき、
人に認められたとき。
それは肝に銘じておくべきところ。
以上。
ここで言及したことは、大人だとか子供だとか関係なく、人間関係において最低限やってはいけないことだと思う。
特に子供は、って強調してたのは、子供相手の場合は冗談抜きにその人の人格や人生を狂わせるから。
それでは、また次回。
(´・ω・`)ノあでゅー