おおかみさんの気まぐれ雑記帳

うつ病やSEの経験談、仕事のことや考え方等を気まぐれに書き連ねていきます(´・ω・`) Twitterアカウントは @marrella

葬式は面白い

(´・ω・`)おおかみさんです

今回はお葬式に関連してのお話。


先に結論書いておこう。

葬式はとても面白い

と個人的に強く思ってる。

もちろん、興味深いという意味での「面白い」ね。

以降、そう思うに至った経緯をダラダラと書いていく。

葬式の経験

ザッと、今までの葬式の経験を振り返ると。

  • 保育所ぐらいの頃に、オジサン(父の弟)の葬式。
  • 小学校1年の時に、父方のお爺ちゃんの葬式。
  • 小学校5年の時に、母方のお婆ちゃんの葬式。
  • 大学2年の頃に、母方のお爺ちゃんの葬式。

この4つ。

このうち、前者2つはあまり記憶に残ってない。
まだ幼かったしね。

母方のお婆ちゃんの葬式は大まかに覚えてる。

母方のお爺ちゃんの葬式はハッキリと覚えてる。

葬式は面白い、と明確に実感したのは「母方のお爺ちゃん(※以下『お爺ちゃん』と表記)」の葬式のとき。
なので、ここからはその時(母方のお爺ちゃんの葬式)の記憶を中心に語る。

お爺ちゃんとの思い出

お爺ちゃんはとても優しかった。
お爺ちゃんにとっては “実質初孫” みたいなものだから、余計に可愛がって甘やかしてくれた。
出前でも外食でも惣菜でもお菓子でもジュースでもオモチャでもゲームでも、欲しいと言えば何だって買ってくれたし、行きたいと言えば何処へだって連れて行ってくれた。

家では母が、外食禁止・店屋物禁止・お菓子禁止・ジュース禁止・オモチャ禁止・ゲーム禁止・漫画禁止・アニメ禁止・遊び禁止、勉強勉強勉強勉強勉強勉強勉強アンド勉強、みたいな家庭だったから。

尚更、お爺ちゃんが神仏のように見えた。
大好きだった。
母にどれだけ怒られても、母がどんなに発狂しても、いつでもどこでも何が何でも絶対に自分の味方をしてくれるのがお爺ちゃんだった。
今になって思えば、当時の心の拠り所だった。
本当に大好きだった。

お前とビールを飲みたい
お爺ちゃんはいつも言ってた。

そんなお爺ちゃんが死んだ

晩年の半年〜1年程度は体調崩し気味で、入退院を繰り返したりしつつ、最後の数ヶ月は入院しっぱなしだった。
最期は老衰による多臓器不全だった。
眠ってるだけにしか見えない、とても綺麗な死に顔だった。

そりゃあ、もうショックだったけど、死んでからしばらく、1〜2週間ぐらいは割と何ともなかった。
お爺ちゃんが死んだ、という事実が受け入れられなかったから。
まぁ、その話は置いといて。

通夜〜葬式の時の話

親戚のオバサンとかオジサンとか、従兄弟とか、お爺ちゃんの兄弟とか、色んな人が集まる。
故人について、あんな人だった、こんな人だった、あんな思い出がある、こんな思い出がある、色々思い思いに話してる。

それらを聞いてて思った。

故人がどんな人だったのか、
故人がどんな人生を歩んできたのか、
故人は集った人々とどんな関係を築いてきたのか、
故人の周囲の人々はどんな人間関係なのか、
故人の周囲の人々はどんな人間性なのか。

葬式という場では、それらが如実に表れる。

それに気付いたとき、衝撃を受けた。

とんでもない発見をしてしまった。

気分的にはそんな感じ。


葬式というものは、まさに
故人の人生の集大成
であり、
その人の生き様が凝縮されて死に様に表れる
と言っても過言では無いと思われる。


故に、とても面白い、とても興味深い。

そう思う。

人の本性

これはちょっと余談になるんだけど。

葬式っていう場では、故人がどんな人だったかだけでなく、
参列する人間の本性ってのも垣間見えたりするので要注意。
故人に近かった人間ほど特に。
それもまた面白いんだけど。

俺が見た例で言うと。

  • オバサン(母の姉)の場合

「父(お爺ちゃん)の世話はずっとずーっと私がしてたんですよ。入院してからも何度も何度も見舞いにきて世話してたし、父もよくやってくれるって言ってたんですよ。だから父も、ありがとうって私に感謝してくれてると思います。本当にね、もうずっと父の世話は私がほとんどやってきましたから。父もそれはよくわかってくれてると思います。妹夫婦なんかは凄く冷たくてね、父の世話は私に押し付けて全然しないし、入院してからも見舞いに全然来ないし、こんな薄情なの知りませんわ。本当、こんなん父が可哀想で可哀想で。でも私はずーっと親身に世話してきましたからね。父のことは私が一番よく想ってて一番よく世話したんです。それは胸張って言えますわ。」

とか何とか涙ながらに延々と食ってかかるように葬儀場のスタッフに語りまくってた。

何のアピールだよ。うぜぇよ。
スタッフめちゃくちゃ困ってたぞ。

あと、人様に無いこと無いこと勝手に捏造して吹聴すんな。
妹夫妻(うちの両親)は共働きだ。
お爺ちゃんを想う気持ちはあっても、現実的にそう頻繁に行けねーよ。
時間だけは有り余ってる年金暮らし無職のオバサンと同列で考えるな。

  • 母の場合

俺は父に似て、基本的に人前で涙流さないタイプで、お爺ちゃんの葬式のときも泣かなかったんだけど、そんな俺を見て、母。

「悲しいわ。お爺ちゃん死んでホンマに悲しい。私はお爺ちゃんのこと誰よりも想ってたからな。涙止まらんわ。そういえば、あんた全然泣いてないな。悲しくないんか。普通、涙出るもんやろ。あ、そうか、あんたなんかお爺ちゃんとの思い出なんか無いもんな、お爺ちゃんのこと何とも想ってないもんな、あんた感情無いしな、だから悲しくないんやろ。理解でけへんわ。そんなん人間違うで。あんたなんかと違って私はちゃんと感情ある人間やからな、ものすごい悲しいわ。」

と。

こういう場面でこそ、人の本性は明確に出る。
母はそういう人間性なんだなと、このときハッキリと理解した。


お爺ちゃんとの思い出」の項でも書いた通り、俺はお爺ちゃん子だ。
お爺ちゃんとの思い出もいっぱいあるし、大好きだったし、お爺ちゃんが死んで物凄く悲しかったし、葬式後2週間ぐらいして現実を受け入れた時には一人で涙した。
お爺ちゃんを想う気持ちは相応にある。
それを母は、勝手な思い込みで決め付け、容赦無く踏み躙った。
心を乱暴に抉られた感覚。
この記憶は忘れようにも忘れられない。
この心の傷は生涯残るだろう。

最後に。

というわけで、俺は葬式に並々ならぬ興味関心と思い入れがある。
就活するときも葬祭関係漁ってたりもしたしね。

とにかく葬式っていう場は、故人の生き様がよく見えたり
集った人々の本性が露わになったりしちゃうところだ。

悲しむのは結構だけど、感情に任せてペラペラしゃべりまくってると、
「コイツってこんな人間性だったのかよ……」
ってドン引きされるかもしれないよ。
そしてそれは、一時の気の迷いだとかで誤魔化せず一生引き摺ることになるかもしれない。
その辺はひとつ、心に留めておいてもらいたい。

言いたかったのはそれだけ、かな。


ちなみに

お爺ちゃんエピソードで今でも引き摺ってる心残りがひとつだけある。

冒頭で書いた通り、お爺ちゃんはよく
「お前とビール飲みたい」
って言ってた。

20歳超えてビール飲めるようにはなったけど、当時はまだビールを美味しいと感じなくて
「付き合いで一応飲めるけど、不味いから好き好んで飲みたくは無い」
みたいな状態だった。

それをお爺ちゃんもわかってて無理強いはせず、いつも少し残念そうな顔をしてた。

そして、ビールを美味しく飲めるようになったのは、既にお爺ちゃんが亡くなった後。

お爺ちゃんと、「ビール美味しいな!」って笑顔で飲み交わしたかった。

それが最大且つ唯一の心残り。