【1.17】鎮魂は誰が為に。
(´・ω・`)どうも、おおかみさんです
本日は1月17日。
阪神・淡路大震災から21年ですね。
当時おおかみさんは小学1年生で、
大阪某所の自宅でまだ寝てる最中、
震度4の揺れに起こされた。
あの時は4階に住んでたから、体感ではかなり大きな揺れに感じた。
家財がガタガタ揺れ動いて、オモチャとか食器とか色々壊れたのを覚えてる。
これだけ年数経っていても、
やはりこの日は大震災の鎮魂ネタがニュースやら何やらで流れるね。
というわけで、前置き長くなりましたが、
今回は鎮魂についての私見。
1. 鎮魂とは?
読んで字の如し。
魂を鎮める。
なるほど。
2. じゃあ誰の魂を?
まぁ、普通に考えたら
死者の魂を
だよね。
でも、おおかみさん的にはそれだけじゃなくて、
生者 (遺族) の魂を、だと思う。
3. 鎮魂は誰の為にするのか?
まー、結局のところ、
生きてる人間の為=自分の為だよね。
居るのか居ないのかわからない死者の霊、
在るのか無いのかわからない魂、
それを想って弔う。
弔うことによって、自分自身が 安心する。
その為。
4. 想う気持ちさえあれば形は何だって良い
さて、こんなこと言ってると、
お前には死者を弔う気持ちがないのか!
お前には人間の心がない!
お前ほど冷血な奴はいない!
とかとか言われたりするんだけど。
というかコレ全部、実の母から言われたんだけど。
何かそれ、履き違えてない?
と思うわけよ。
まぁ、世間一般に、弔う行動をしておかないとそう見られたりしちゃう面あるから、こういう追悼行事とかもちゃんとやってるんだろうけど。
組織だとかになると余計に。
ただ、一個人レベルの話で言うと、
故人を想う気持ちさえあれば形は何だって良いんだよ
ってのが、おおかみさんの考え方。
5. 鎮魂はパフォーマンスではない
唐突におおかみさんのお爺ちゃんの話するけど。
おおかみさんが幼少期に割とお世話になったお爺ちゃんが死んだ時。
うちの母とか親戚とかが、お爺ちゃんとの想い出を涙ながらに語ったりしてて、
そこまでは良いんだけど、その後、
俺が涙流してないのを見て
あんたなんか何も思い入れないから悲しくないだろうけど、自分たちはこんなに思い入れあるからこんなに悲しいんだぞ
ってアピールしてきたのよね。
うん。
アホかアンタら。
俺だって凄く可愛いがってもらったし、色々お世話になったし、想い出あるし、凄く悲しいわ!
人前で感情出さないタイプなだけで、一人の時こっそり涙流したりもしてるわ!
人のこと「お前は悲しくないだろう」とか勝手に決め付けて、自分は人一倍悲しんでますアピールとか頭悪いだろ!
それこそ、そんなこと言ってるの見たら、故人が呆れて悲しむぞ!
うちのとこはお墓ないし、納骨堂も異常に遠いからそうそう行けないし、宗教上の理由で仏壇にも手合わせてないけどさ。
それでも時折、お爺ちゃんのこと思い出したりはしてるし、ずっと心の中にお爺ちゃん居るんだよ。
そして、
それで良いんだよ。
故人を想う気持ちさえあれば、それで良いんだよ。
わざわざ言動に出さなくても、それで良い。
むしろ、
わざわざ言動に大袈裟に出して、
言動に出してないだけの人を非難して、
自分は故人を想ってますアピールしたりするとこまでいくと、
もう逆に醜いからな。
鎮魂ってのはテメーのパフォーマンスの場じゃないから。
・まとめ
熱くなってしまった(´・ω・`)
まとめると、
鎮魂ってのは故人の為だけじゃないよ
残された者に想う気持ちがあるかどうかが最重要なんだよ
故人の為!とか建前振り翳して生者同士醜い姿晒してたら本末転倒だよ
ってこと。
それでは。
(´・ω・`)ノあでゅー